2005年10月25日

途切れる道

結局目に見えるものだけが一番正しいんだと思う。
どれだけ確実に感じることが出来ても、
それは“ある”ものだと言い切れなければ
それは“ない”ものにしかならない。

あまりにも不確定で
どれほどまで生活になじんできても
それは不確定なだけで
結局は幻になる

見たいものだけを見るから
惑わされると
存在しない見たいものばかりを見つめることになる
だから、
存在しないことに気がつくと
あらゆるものが消えたように感じるのだろう





あなたは不確定なものを見てませんか?
たぶん、誰でもそんなものがあると思います。
100%の現実に見えるものでも、
そうとは限らない。
今、少しそんなことを考えました。
なぜかという詳しい理由は言えませんが、
たぶん、私が見てたものは
現実と考え続けてはいけないものだから、
忘れることにします。

だって、
戻って来ないようなものをいつまでも探し続けてるような真似はしたくないから、
それは
過去の思い出
小学校の頃転校して
またいなくなった人のように

こう考えると、
今までつながりがある人って少ないですよね。
そして、これからつながっているって人もとても少ないと思います。
人は一生に3000人の人の名前と顔を覚えるとか言いますけど、
その中で
数年・・・十数年もの長いつき合いをする人というのは
あまりにも少ない。
今までの私の短い経験でそんな人どれくらいいるのだろう?

家族
親戚
幼馴染
腐れ縁

何かしらの理由で会う人なんて
たぶんこんなもの
あまりにも少なすぎる
確かにいい人はいるけど、
どれだけ近い人かって言われたら
「普通にいい友達」
でも、そんな人って
やっぱり不確定で
ある一定の区域には入ってこない
確定的な友達にはならない

ちょっと寂しいな・・・
posted by 迷い猫 at 00:56| 青森 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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